前作、「六ヶ所村ラプソディー」では原子力産業の最前線で生きる六ヶ所村の人々を取材しました。
どのようなエネルギーを選択するのか、今、私たちは問われています。
地球温暖化という国境を越えた環境破壊が進む時代に生きる私たちは、私たち自身の生活が環境破壊につながるというジレンマに直面しています。
このジレンマを解く道はないのか、とこれから作る作品で改めて問いかけたいのです。
構造的な環境破壊を根本から見直し、新しいエネルギーの作り方、使い方を探りながら社会のシステムそのものをシフトしていかなければ未来がないことを多くの人が理解し始めています。
ではどのようなエネルギーに、社会に、どうやってシフトしていけばいいのでしょうか?
私はそのヒントがスウェーデンにあるのではないか、と注目してみました。
スウェーデンは脱原発を国民投票で決め、2020年までに石油にも依存しない社会づくりをめざしています。
実はエネルギーをシフトする背景には民主主義や情報の透明性、そして人権意識の高さがあることが見えてきました。スウェーデンはCO2を削減しながらゆるやかながらも経済成長を続け、質の高い福祉を実現しています。
日本とスウェーデンの違いはいったいどこにあるのでしょうか?
目下、山口県上関町で新たな原子力発電所の建設計画が進められています。
この原発は瀬戸内海の入り口にある美しい湾を埋め立てて建設されます。この原発予定地の真向かいに位置する祝島の人々は建設に26年間、反対してきました。
しかし、島民の思いとはうらはらに計画は進んでいます。埋め立て予定地、田ノ浦は海底から淡水が湧く多様な生物の楽園です。祝島の漁師にとっても最高の漁場です。
祝島の人々の暮らしが持続可能でなければ、私たち自身もまた、持続可能ではありません。
「持続可能」という言葉は実に多様な意味を含んでいます。
その中でも私が最も大切だと考えるのは自然の法則に逆らわないということです。
今回の作品で表現し、伝えたいと思っているのは普段私たちが見過ごしている自然循環の大きな力です。それを敵にするのではなく、共に生きるという感覚です。
実は、私たちの先人たちがそうやって生きて、1000年も2000年も文化や地域を持続させてきたのです。その生き方を再発見し、現代のテクノロジーと共に生かしてゆくという課題があります。それが、私たちの持続可能で安心できる未来のイメージとなるのではないか、という予感がしています。
一方で絶望的とも思える現実を直視しながら、もう一方で今、存在する可能性と希望を、それがたとえどんなに小さくともあきらめない、そんな眼差しを持ってこの映画を制作したいと望んでいます。
この映画は旅するカメラの記録です。
まったくかけ離れた場所で生きる人間の営みを一本の映画にすることで私たちがこれからどうしたらいいのか、見えてくるのではないかと期待しています。社会をシフトする人間のエネルギーやネットワークが生れるためのメディアになりたいと思っています。
持続可能な社会と暮らしとは。私たちの今はどこへむかうのか。
スウェーデンは日本の20年先を走っています。ならば20年前は日本と同じような課題を抱えていたということです。そしてスウェーデンもまた持続可能な社会に向かう道程にあります。様々な課題を乗り越えてきた、そのありかたを地域の中に生きる人々からみつめたいと思います。
山口県祝島の人々が育んできた自然と共生するあり方、1000年続いてきた暮らし、文化の持続性が、原発建設に伴う環境破壊の前に危機に瀕しています。現場で格闘する人々がぶつかっている壁の実像を明らかにし、愛する暮らしや地域を守ろうとする様々な取り組みを現在進行形で追います。
社会を変革する、エネルギーをシフトする、その現場で私たちと同じ、一人一人の生身の人間が矛盾と格闘しています。そこに必要なのは、これまでの持続不可能な文明からの発想の転換です。価値がひっくり返る考え方です。
一見、非力で無力と思える、私たちと同じ個人、その一人の人間がどのようにこの大きな仕事に取り組んでいるか、本質的な問題に切り込んでいきたいと思います。
これは旅する映画です。
日本とスウェーデン双方で新しいエネルギーを模索する人々や地域を訪ねることによってそこに風を通したい。
監督 | 鎌仲ひとみ |
プロデューサー | 小泉修吉 |
音楽 | Shing02 |
撮影 | 岩田まきこ、秋葉清功、山本健二 |
録音 | 河崎宏一、服部卓爾 |
助監督 | 豊里洋、南田美紅、齋藤愛 |
編集 | 辻井潔 |
編集スタジオ | MJ |
録音スタジオ | 東京テレビセンター |
制作・配給 | グループ現代 |